友人と合同墓について話したこと

先日久しぶりに会った友人と、ひょんなことから「合同墓」についての話になった。
 
「あっちの世界に旅立ったあとは、自分は合同墓に入れてもらおうと思ってて」
と言うと、ものすごく驚いてて、逆にこっちが驚いた。
 
 
 
どうしてそんな事になったんだ?
と、聞く友人。
 
 
だって、その方が後々ラクだし?
と、こたえる自分。
 
 
 
どうやら、家族とうまくいっていないんじゃ?と心配してくれたらしい。
 
ありがとう。
でも、家族との仲は良好だ。
 
でも、突然そう言われたら確かに驚くかもしれないね。
うちには、先祖代々の墓があるし、そこに入るのが普通だと思うだろうし。
 
 
現在、自分が先祖の墓参りをするとなると、
飛行機で移動したり、電車で数時間かかったり、日帰りでは無理だったり。
 
ちょいちょい引っ越しをしているから、
住んでいた場所によるけど、とにかく数日時間が必要になるんだ。
 
 
墓参りは、「先祖の供養」という意味もあるけど、
主に「墓の管理という名の掃除」などが必要なため。
 
合同墓にはいれば、その管理は必要なくなるから、
その分自分のための家族の負担は減ると思うんだ。
 
 
自分のいなくなったあとまで、
家族に負担をかけたくないって想いが強いのかもしれないな。
(自分がいまそれだけ、墓参りにかかる時間などを負担に思っているって裏返しかもしれない。
 
 
 
それで「合同墓」って発想になったんだけどね。
 
「合同」って部分にひっかかる人が多いのかもしれない。
 
 
人生終わった後のことは、残った人たちが決めていいけど
信じるものや譲れないものがあるから手間のかかる手段を選ぶ、
というなら文句はないよ。
 
でも、これまでの常識とか固定観念にとらわれて、
考え無しに効率の悪い手段を選んでいるなら、
それは送られる側が変えてあげちゃおうとも思うんだよ。
 
 
 
話はずれにずれまくったけど、
合同墓についての話、友人は
 
ふーん そうなんだ
 
で終わった。
納得したようなしてないような、そんな感じ。
 
 
 
 
 
話は変わるけど「固定概念」って言葉、間違いなんだってね。
固定観念」が正しい日本語らしいよ?